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こんにちは!すてっぷらくだ(https://twitter.com/step_rakuda)です。
今回は、”海外で実際に起きた”シリーズ。先輩のPCが盗まれた”事件を語ろうと思います。
過去ブログで、商社マン視点で”海外経験するメリット”というのをお話ししましたが、
現地に赴き、海外ならではの文化や価値観に触れていく中で、、、、
日本では起こりえない事件も起きたりします。
今回は、そんな事件を著者 すてっぷらくだが実体験で、または身の回りで起きた話を書いていきたいと思います!
お客さんの危機に若手商社マンを派遣
お客さんの海外工場で労働ストライキ、日本から応援派遣
これは、筆者のすてっぷらくだが、総合商社に入社して10カ月くらいの話。
配属されたグループは、ある電機メーカー向け金属加工を行っている会社(以下A会社)を顧客としている資材販売グループだったのですが、
A会社の海外事業体で、中東のとある国(以下B国)で大規模ストライキが発生しました。
当たり前ですが、製品を製造する工場は、人がいないと何も作れません。
そして、A会社が製品を作れないと、更にA会社が販売する顧客にも大きな影響が起きます。
なので、A会社の日本本社からスタッフを海外に送り込み、何とかラインを維持させる荒業に出ます。
仕入れ先商社である当社も「手伝いさせて下させいただきます」という気持ちで人材を派遣。
それが、当時1年目の私に白羽の矢が当たったわけです
らくだくん、急で悪いんだけど、当社としてもA社のお手伝いをするべく、
3週間ほどB国行ってきて。2日後から。
ふ、二日後!!?
全くイメージが湧いていないのですが、。。。
何とどうすればいいんでしょうか?
うん、まぁそうだよね。
それは、あれだ。A社の人のお世話をやるんだよ。
まっっったくわからん。
実は、これがすてっぷらくだの人生初の海外出張となりました。どうなることやら。。。
何もわからないまま、気がつけば中東の地に降り立つ
ということで、何もわからないまま中東のB国に到着。これからどうなるんだろう僕。。
とにかく、日本から応援出張しているA社の方々のお手伝いをやればいいんだな!
実は、会社からは一つだけ明確な指示を言い渡らされていました。
それは、A社日本人の為に、日本食を詰めるだけ詰めること。そしてその中にお酒も可能な限り持っていくこと。
日本食はわかる。なれない異国で頑張っている日本人の方々にとって、なかなか手に入らない日本食を差し入れに持っていくことはうれしいと思います。
でも酒は?
実は、知っている方もいらっしゃるかと思いますが、中東ではイスラム圏の地域が多く、
場所によっては、お酒を購入することができないんです。
当時の私は、そのような地域事情も理解できていなく、「なるほどな~」と思った記憶があります。
現地の駐在員が空港にに迎えに来てもらい、そのままA社の現地工場へ。
ストライキしている会社ってどんな感じだろう?
ドキドキしながらA社の現地工場へ。
すると、
入口にバリケードが設置されている
どうやらストを先導する過激派がいるようで、どのような人間を中に入らせないようにしているようです。
やばい。怖い。もう帰りたい。
ビザ、ホテル手配、食事、土日の生活なんでもやる
実際の仕事内容ですが、至ってシンプルでした。
具体例を挙げると、、
①追加応援者のビザを作成するためのインビテーションレター(招聘状)の作成
②ホテルの予約
③お昼の日本食弁当の手配
④ホテル⇔工場間の車の送迎管理
⑤土日の都心への買い物をしたい人にの車の手配
こんな感じ。本当に上司が言った通り、お世話だなこりゃ。
上に書いた通り、内容自体はそこまで難しいことではありません。
しっかりミスないように気を付ければ、1年目の社員でもできる仕事です。
しかし今振り返ってみると面白いのが、
「数ある仕事の中で、最もお客さんに感謝されたのはこれが一番だった」と言うことです。
本当に困っている時に、ペーペーの若造でも何週間も同じ場所で過ごして一生懸命やってくれれば、うれしいんでしょうね。
まぁそれは、今回の話とはそれるので、多く語るのはやめます。
大きな問題も起きないまま3週間が過ぎていきました。
任務完了!後任の先輩に引継ぎ帰国。しかし。。。
後任の先輩登場
ストの影響もまだ収まっていないため、当社としても後任を出すことになりました。
その後任は、当時20代中盤のすてっぷらくだとは変わって、50歳後半のおじさん。
お~きみがらくだ君ね。お疲れ様!あとは俺がやっておくね!
あ、これお土産のエロ本
え、あ、はい。ありがとうございます。。。
1年目の若手が言うのは何なのですが、「なんかいや~な感じするな~」と思いながら、お世話になったA社の方々に挨拶して帰国の途に着きました。
無事日本の地に降り立つそして先輩から電話が。。。
日本に帰国しました。ちょうど帰国した日は週末でした。
いや~俺頑張ったな~土日はゆっくり好きなことししよう!
久々の日本ですし、達成感、充実感もあったので気分爽快に過ごしていた時、、
突然、あのおじさん先輩からの電話がなります。
あ、らくだくん?突然で申し訳ないんだけど、
A社近郊でいい電機屋知らない?
え、いやすみません。僕自体は3週間工場とホテルに缶詰めだったので、
全く分からないです。どうしたんですか?
いや~それがさ、昨日の夜一人で飲みに行って、仲良くなった女性と飲んでたんだけど、飲みつぶれちゃって。。。PC盗まれちゃったみたい。。
あんた何してんの?(# ゚Д゚)
ここで改めて我々がやっていた仕事を紹介します。
①追加応援者のビザを作成するためのインビテーションレター(招聘状)の作成
②ホテルの予約
③お昼の日本食弁当の手配
④ホテル⇔工場間の車の送迎管理
⑤土日の都心への買い物をしたい人にの車の手配
そう、①のとおり、A社の個人情報を知る立場にあったのです。
とにかく、仕事は継続する必要があるので、「WEBメールで最低限私が持っている資料を送りますので、何とかして電機屋見つけてPC買ってきてください」とだけ伝えました。
翌日、課長・部長に報告
翌日、日本帰国後初出勤します。
お~らくだくん、お疲れ様。A社からもお礼の連絡が来ていたよ。頑張ったね!
あ、はい。ありがとうございます。。。
ところでお話ししたいことが、、ゴニョゴニョ
・・・ちょっと部長も呼んで話したほうがいいなそれ
結末はうやむやな闇の中へ。。
ここからは、私も新米社員だったので、詳しくはわかっていません(ごめんなさい!)
ただ、部長、上司がしっかりA社に謝りに行ったみたいです。
ここからは想像ですが、A社も我々がやってきたことには変わらず感謝しているみたいですし、「うやむや」になったと想像しています。
その後、A社から正式に私の会社に感謝状も贈ってもらったみたいです(僕呼ばれていないけど!)
また、数カ月して何回かそのおじさん先輩を会社で見かけましたが、ある日ぱったりと見なくなりました。
定年退職されたのか、はたまたは別の理由か。。。
皆さん、お酒は気を付けてね!あと情報セキュリティはしっかりしましょう!
おわり
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